水上恒司
映画『本当にあった話(の話)』
「やってみたい!」と素直に思えた作品でした
10月2日公開の映画『本当にあった話(の話)』(原作:鴻池留衣 / 監督:武井佑吏)で主演を務め、多面的な狂気と人間味を孕んだ「夛田」という難役に挑んだ水上恒司さん。今作への出演を決めた背景から、独自の役作り論、そして作品を通じて表現した「人間の滑稽さ」について、たっぷりと語っていただきました。
© 鴻池留衣/文藝春秋/2026「本当にあった話(の話)」製作
委員会
<あらすじ>
1999年。厳格な家庭に縛られてきた近田貴子は、恋人との結婚を否定され、ある計画に踏み出す。それは、立派な経歴を持つ男と結婚し殺害、その人生を恋人に引き継がせ“夫婦”として生きる計画だった。しかし、貴子の歪んだ欲望は止まらず、殺人は繰り返されていく――。そんな世間を震撼させた〈配偶者入れ替え連続殺人事件〉から数十年。事件を元にした禁断の舞台が作られることになり、夛田(水上恒司)が主演を射止める。だがそこからがこの舞台の悪夢の始まりとなる――。この男は一体何をしでかすのか?
今作で水上さんが演じた夛田は、狂気を孕んで周囲を巻き込んでいく強烈な役どころです。武井佑吏監督からは「ジャック・ニコルソンを彷彿とさせる」というコメントもありましたが、演じるにあたってモデルにされた方やオマージュした作品などはあったのでしょうか?
モデルにした人物や作品は特にないですね。撮影前に何かを見て「これをやろう」という感覚で準備したわけではありません。ただ、撮影が終わって振り返ってみた時に、僕のイメージとしては、ジム・キャリーやホアキン・フェニックスといった役者さんたちの雰囲気に通じる部分があったのかなと感じることはありました。でもそれも「そういえば昔見たあの作品の感じと似ていたかもな」という感想として頭に浮かぶレベルで、役作りにおいて何かを参考にしたり真似したりということは一切ありませんでした。
では、具体的に「夛田」というキャラクターを構築していくにあたっては、どのようなアプローチで役作りに臨まれたのですか?
僕はお芝居をする時、自分の中に「人形師」がいて、自分の身体という「人形」を動かしている感覚があるんです。手を動かしたり、声を出したりするのも全部人形師がやっている。これって実は、役者に限らず誰にでもある感覚だと思うんです。
例えば、改まった大切な場所に行ったら姿勢を正す。特別面白くもない上司の話にも、愛想笑いを浮かべる。相手を喜ばせるためにちょっとオーバーに振る舞ってみせる。これって人間が生きる上で誰もが日常的にやっている「自分という人形を使ったお芝居」ですよね。
誰しもが「自分という人形」をコントロールしながら生きている、と。
そうです。ただ、今作における面白さというのは、その「人形師」と「人形」の境界線が潰れて一体化してしまう滑稽さなんですよ。
本来、自分と関係のない役割や行動を身体にやらせてあげることって、ある種の「理性」じゃないですか。でも、夛田はその境界線が変容してベチャっとなってしまう。その変貌ぶりや自我のゆらぎがすごく面白い作品なんです。日々の撮影中にもその滑稽さを強く感じていましたし、演じるうえでも「人間の滑稽さ」という部分を重点的に注力しながらカメラの前に立っていたのだと思います。
今作の内容も、夛田という人物も、複雑で不可解な部分が多い難役だと感じました。撮影から時期が経っているとのことですが、オファーを受けた当時はこの役にどう挑もうと思われたのでしょうか?
撮影自体は2年前のことで、完成した本編を観たのも去年の秋ごろだったので、実は最初に脚本を読んだ時の細かい記憶ってほとんど残っていないんです(笑)。ただ、当時の自分が「この役をやってみたい」と思った最大の理由は、「これまでにやったことがない役柄だったから」だと思います。
僕の俳優人生において、まだやったことのない役柄や作風というのは圧倒的多数で、全体の99%くらいを占めているんです。残りのわずか1%くらいしか「自分がやったことがある」「すべて理解できる」と言える領域はありません。なので、どの作品と出会っても基本的には「やったことがない」ことばかりなのですが、その中で「これはやれるな」というものと「これはやれないな」というものが感覚的にあるんです。
その「やれる」「やれない」の基準はどこにあるのでしょうか?
完全に僕のさじ加減です(笑)。ただ、「やれないな」と思う時って本当に一瞬で「これは自分じゃないな」と分かるんですよ。映画やドラマとして作品を世に出していく時には、自分の中に「これは僕じゃないな」という客観的な自分がもう一人出てきてしまうことがある。作品や役をいただけるのは本当に恵まれたことですし、そんな風に考えるのは僕の生意気な自我かもしれませんが、人間どうしてもそう思ってしまうものですよね。でも、今回の脚本を読んだ時は「やれない」とは一切思いませんでした。「これはやれる」「やってみたい!」と素直に思えたんです。
「やれる」と直感された背景には、何か具体的な理由があったのですか?
ちょうどその時期か、その前年あたりから、コント番組『LIFE!』に参加させていただいていたんです。お笑い、つまり「笑いを生み出すこと」って本当に難しいんですよね。『LIFE!』の演出を手掛けられている方が、「笑いを生む要素には2種類ある。1つは『ズレ』、そしてもう1つは『人間の愚かさを演じること』だ」とおっしゃっていて。その言葉がずっと心に残っていたんです。
改めて今回の作品を振り返ってみると、まさにその「ズレ」と「人間の愚かさ」の両方の要素が詰まっているんですよ。観客の皆さん全員にそれがストレートに伝わるわけではないかもしれませんが、僕たち作り手からすると、この作品は完全に「コメディ映画」なんです。観ていて「滑稽だな」「笑っちゃうな」というシーンばかりなんです。
観客が「狂気」と感じるものが、演じ手にとっては「人間の愚かさ=コメディ」に見えるのですね。
そうですね。コントに参加し続けて「笑いってなんだろう?」「難しい笑いとは何か?」という視点を常に持っていた時期だったからこそ、この作品が描く人間の愚かさや滑稽さに強く惹かれたのだと思います。世間ではそれを「狂気」と呼んだりするわけですが、僕としては人間の滑稽さを演じる挑戦として「これはやれるんじゃないか」と確信を持って挑みました。
作中の夛田は物語が進むにつれてどんどん暴走し、周囲を巻き込んでいきますが、どこか根底には純粋さや無垢な心が残り続けているようにも見えました。水上さんご自身は、夛田のそうした一面をどう捉えていましたか?
そこは本当に「紙一重」だと思うんですよ。人間の数だけ「信じるもの」があります。特に法治国家においては、自分の信じるものがちょっとでも間違った方向へ傾いてしまうと、簡単に人を傷つけたり、悲惨な事件を引き起こしたりしてしまう。世の中には悪意に満ちた事件もたくさんありますが、「自分の中の正義や正しさを信じきってしまう思い込み」というのは、誰しもが持っているものではないでしょうか。その強い思い込みや真っ直ぐさを、人は「無垢さ」や「純粋さ」と呼ぶのだと思います。
誰もが持ちうる「思い込み」が、一歩間違えると狂気へと変貌してしまうわけですね。
だからこそ、人間は常に「理性」を働かせなければいけないんです。今回の作品のラストで、夛田が最終的に足をすくわれるような展開を迎えるのは、作品として絶対に不必要なことだったと感じます。「ああいう暴走や理性の欠如を許してはいけない」という社会的なメッセージでありつつも、エンタメとして「でも、人間って滑稽で面白いよね」と思える作品に落とし込めたら最高だなと思いながら演じていました。
水上恒司
みずかみ こうし
1999年5月12日生まれ。
最近の出演作に、Prime Originalドラマ『犯罪者』(‘26)、Netflix『ソウルメイト』(‘26)、フジテレビ『シナントロープ』(‘25)、WOWOW『怪物』(‘25)、映画では、『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』(‘26)、『TOKYO BURST-犯罪都市-』(‘26)、『WIND BREAKER / ウィンドブレイカー』(‘26)などがある。また、2027年秋公開予定の映画『アンダードッグ-日本初のW杯出場を決めたポンコツ男-』への出演も控える。
一つひとつの質問に対してじっくりと考えながら、ご自身の言葉で丁寧に答えてくださった水上さん。難しいテーマでありながら、身近な例を交えながら紐解いてくださり、お話を聞けば聞くほど水上さんがどのようにお芝居と向き合っているのか、その思考の深さに引き込まれていきました。撮影では、カメラを向けられた瞬間に表情や佇まいが変わり、次々と異なる表情を見せてくださる姿が印象的でした。そんな水上さんが「やってみたい!」と直感し、挑んだ夛田という人物。スクリーンの中で見せる“人間の滑稽さ”を、ぜひ劇場で目撃してください。
© 鴻池留衣/文藝春秋/2026「本当にあった話(の話)」製作
委員会
■タイトル:『本当にあった話(の話)』
10 月 2 日(金) テアトル新宿 ほか 全国ロードショー
■出演:水上恒司 黒木華 山下美月 大東駿介
山本浩司 / 小池栄子 / 佐々木蔵之介
■原作:鴻池留衣『本当にあった話(の話)』(文藝春秋)
■音楽:Maika Loubté
■監督・脚本・編集:武井佑吏
■配給:東京テアトル/murmur
※Team Credit
カメラマン:鈴木寿教
ヘアメイク:Rina Kajiwara
スタイリスト:藤長祥平
インタビュー:根津香菜子
記事:根津香菜子/相澤花菜