春は彼方
第七話
作 吉村卓也
パン、パーン
行儀よく並んだ20コの火が消えたのを合図に、 クラッカーの音がふたつ、狭い部屋の中でこだました。
「ほら、写真撮るよ。秋人くんケーキ持って。ねえ、私も入るんだから座る位置考えてよ?」
忙しく執り行われた撮影会の写真には、精一杯のお澄まし顔で、“本日の主役”と書かれたたすきを 掛けた、なんとも滑稽な僕が写っていた。
“本日の主役”そっちのけで、デジカメから携帯へと写真を移す二人の姿に、 僕は以前読んだ本を思い出していた。 そこには『誕生日は祝われる人のものじゃない「祝う側の人」のものである』と、確かそんなふうに書いてあったと思う。
2020年8月16日 僕は、あっけなく大人になった。 そのくせ鏡に映る僕は、変わらずに僕だった。 まあ。何も変わらない訳ではないが…。
「なにジッと鏡見てんだよ。相変わらずナルシストだな」
視線を鏡から部屋の方へ戻すと、ニヤニヤ顔が待ち伏せしていた。
「秋人くんも純平もケーキ食べないの?別に嫌なら食べなくても良いんだけどさ」
キッチンからの声は表情こそ見えないが確実に苛立ちが感じられる。
「ほら、美里が拗ねないうちに行くぞ。あと、美味いの一言忘れんなよ?…どんな味でもな」
最後付け加えられた一言が、この後の惨劇を物語っているように思えた。 事実僕が初めて美里さんの手料理を食べた時は、あまりのマズさに箸がピタッと止まりそこから 動けなくなってしまった。 付き合って二年になる純平さん曰く、やっと喉を通ってくれるレベルに達した。と言っていた が、僕には純平さんの舌がバグを起こしたとしか思えない。 でもそんなことは彼女想いの純平さんには口が裂けても言えないし、何より言える立場じゃない。
「絶対食えよ。ハタチでホームレスは嫌だろ?」
居候させてもらっている僕に、拒否権はないのだ。
三ヶ月ほど前の話だ。
僕らのシェアハウスでは葵の誕生日パーティーが問題なく行われていた。 いや、きっと問題はあったんだと思う。
実際僕は新宿御苑の事件以来、また性懲りもなく二人から遠ざかる生活を続けていたし。 葵もゆりちゃんも、同じ屋根の下に住んでるとは思えないぎこちない挨拶を交わしていた。 この二人が抱えた問題も、何も解決しないまま今日を迎えたことは葵を見れば一目瞭然だった。
懸命に今まで通りを装っているが、葵は昔から顔に出やすく嘘がつけない。 ババ抜きは僕の知る上で勝ったところを見たことがないし、「宿題わすれました」と言えば食い気味で「やってないんだろ?顔に書いてあるぞ」と言われる具合だ。
そういえば、ババ抜きは親父には勝てる。と言ってたっけ。 きっと顔に出るのは遺伝なんだろうな。 親父に勝つ。ということは、徐々にその体質は薄くなっているのか…。 感情がバレなくなるのはどこぐらいだろう、 葵の孫。いや、ひ孫。玄孫…。あれ、次なんだっけ。あ、来孫だ…。
そういう僕も、“今まで通り”をうまく演じるために、どうでも良いことで頭をいっぱいにした。 そうでもしないと、得体の知れないものが胸の中でざわざわと騒ぎ出そうとするのだ。
いつからだろう。普通に三人でいることの、普通が出来なくなったのは。 僕らの春の大三角はいつの間にか遠く離れて、前よりもずっと大きな三角を作っているみたいだ。
雲行き怪しく始まった誕生日パーティーだが、実はそこそこに盛り上がった。 出前のピザは美味しかったし、僕のプレゼントもゆりちゃんからのプレゼントも葵の好みに無事 ヒットした。ヒットかどうかは葵の顔を見ればわかる。 お酒を飲んだのも良かったのだろう。慣れないお酒で柄にもなくハイテンションになった僕は、 バイト先の純平さんという先輩が、彼女の手料理がマズすぎて半年で16キロ痩せた。 『彼女飯まずダイエット』を成功させた話を得意げにしてみせた。 これが見事に二人のツボにはまり、この日一番の盛り上がりを見せた。 もしもこの誕生日にプロ野球などでよく見るハイライトがあったなら、確実に『飯まずダイエット』が使われたことだろう。
こうして宴もたけなわな時間が近づき、“今まで通り”を演じる奇妙な誕生日パーティーは、自分たちが抱える問題に触れることなく問題なく終わろうとしていた。
その時だった、
「私、一人で暮らしてみようと思う」
今日のハイライトは、間違いなくゆりちゃんになった。
「葵くんにも秋人くんにも都合があると思うから。今すぐにって訳じゃないんだけど。一人で、 暮らしてみようと思うの」
唾を飲み込むことさえ慎重になるほどに静まりかえった部屋の中で。か細く透き通った声だけが耳に届いた。僕は、次に出す言葉を懸命に探したが、そのどれもが正解じゃない気がして口をつぐんだ。
「わかった」
先に口を開いたのは葵だった。
「どうせなら早い方が良いだろ。今月中に出よう。二十日もあれば部屋くらい決まるだろうし。秋人も良いよな?」
うん。と、あまりにあっさり返事をする自分に驚いた。が、二人の表情を見て納得した。安堵にもとれる優しい顔をしていたのだ。
きっとこのとき、僕も同じ顔をしていたに違いない。
僕たちは、こうなるべきだったんだ。
ごめんねと頭を下げた彼女の髪から、甘いシャンプーの香りがした。
程なくしてゆりちゃんが出ていき、葵が出ていった。
最後まで部屋が見つからなかった僕は、退居手続きを請け負うことになっていた。
しかしあろうことか、退居日になっても新居は見つからないままだった。
見つからなかったのか、見つけなかったのかはわからない。
ガランとした部屋を横目に、もう二度と開けることのない扉に鍵をかけた。
「どう?美味しいでしょ!」
その声にハッとした。やばいやばい、一瞬現実からエスケープしていた。 「あ、なんとか食べれ…いや、美味しいです」 余りの衝撃に本音が口から飛び出そうになるほど、ケーキも例外なくマズかった。 隣では純平さんが、美里まじで料理の腕上げたなあ。と、ガシガシ胃にケーキを放り込んでいく。 『飯まずダイエット』を成功させた純平さんだが、舌がバグを起こしたせいで過去の体型に戻りつつある。
指についた生クリームを舐りながら純平さんが僕に言った、 「この前連れに『こたつ抱えてバイト先に現れた家なき子』の話したらバカウケだったよ。同情するなら家をくれ!つってな」
これは僕の話だがそんなセリフは言っていない。と、思う。
退居日にバイトのシフトを入れていた僕は、すべての荷物を抱えてバイト先の寿司屋に向かった。 その日、見かねて招いてくれた純平さんの家で限界以上のお酒を煽り、ここに来るまでの経緯や、知らなくても良い葵やゆりちゃんのことまで吐露していったらしい。 そんな記憶が薄ぼんやりと残っていたが、それ以上にお酒が残り、僕は人生初の二日酔いで苦しむハメになった。
一度、自分がどこまで話したのか探りを入れたが、 「カメラ女子に『早く俺を撮ってよ!』って言うくらいナルシストだったんだな」と言われ、それ以上の詮索はやめておいた。 なんにせよ僕の話は、基本的なトーンが灰色だったことは間違いないだろう。
そこからずるずると純平さんの家にただで置いてもらっているのだ。
それは単に純平さんという人が僕にとって心地いいのと、葵とゆりちゃんとなんの接点もない。今まで僕がいた世界とは、違う世界の人間だったからだろう。
ただひとつだけ、予想外なことがあった。
「そういえば、ちゃんとLINE返したの?来てんでしょ?ゆりから連絡」
実は美里さんは同じ大学の先輩で、こともあろうにゆりちゃんも属する写真同好会の代表だったのだ。
ゆりちゃんが写真同好会に入ってること自体、知ったのはつい最近だ。 合宿から戻った美里さんが、カメラに収めた写真を誇らしげに見せてきた。 その中の一枚にゆりちゃんが写っていたのだ。
写真の中で彼女は、少し大人びた気もするし、何も変わっていない気もする。 そもそも初めっから彼女のことなんて、これっぽっちも知らなかったのではという気さえしてく る。そんなことを思うと、僕の胸でチクッと音がした。
「ゆりって、秋人が『俺を撮れよ!』って叫んだカメラ女子か?」
僕が返事をする前に純平さんが横入りしてきた。
それに美里さんも興味を示すもんだから、僕は新宿御苑での出来事を今度はしらふの状態で二人に聞かすハメになった。他人の揉め事はさぞ面白いことだろう。笑いたければ笑ってください。と、僕は半ばヤケクソでコトの詳細を語った。
「秋人くんは、知らないんだね」
そう言って僕を見る美里さんの顔は、想像していたどれとも違う、悲しい顔をしていた。 言葉の意味がわからず、聞き返す。
「ゆりが、人を撮らない。いや、撮れない理由。知らないんだね」
大切な人しか撮りたくない、僕はゆりちゃんの大切な人じゃないから撮られなかったんだ。僕がそう言うと。美里さんは小さく息を吐いてから、首を横に振った。
ゆりが人を撮らない本当の理由、知りたい?
美里さんはもう一度、僕の気持ちを丁寧に確かめてから。 ぽつりぽつりと、慎重に話し始めた。
…なんだよそれ。 なんで言ってくれなかったんだよ。
いや、違う。
僕は、なんであんな事をしてしまったんだろう。
気がつくと僕は部屋を飛び出していた。
星さえも見えない夜空に、ゆりちゃんの顔を浮かばせる。
僕は、初めて彼女を見つけた日の事を思い出していた。
「なんて、寂しそうに笑うんだろう…」
僕は本当の彼女のことなんて、これっぽっちも知らなかったのだ。
第八話へつづく
【著者】
吉村卓也(よしむらたくや)
1990年2月4日生まれ。
主な出演作は 映画「ビルド NEW WORLD 仮面ライダーグリス」 舞台「タンブリング」、「大きく振りかぶって~夏の大会編~」、「よりによって(1人舞台)」、「七転抜刀!戸塚宿」など他多数。GuuGooチャンネルにてエンタメ動画配信中。